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女性天皇
奈良には天皇陵も多数ありますが、元正天皇は数少ない女性天皇です。
どんな人だったのでしょうか?
女性天皇が居た事すら知らない私は少し調べてみる事に・・・
元正天皇陵(奈保山西陵)
近鉄奈良駅の北側、奈良市奈良阪町には、第44代「元正天皇陵(奈保山西陵)なほやまのにしのみささぎ」があります。
近くに元正天皇の母である第43代の女性天皇「元明天皇陵(奈保山東陵)」もあります。
女性天皇は過去に何人いたのか
愛子様がお生まれになってから、
女性天皇についていろいろと協議されているニュースを耳にしましたが、
どうやら過去には「8人10代の女性天皇」がいらっしゃった様です。
「8人10代の女性天皇」???
数が合わないではないか?
ちょこっと調べたら解決しました 😉
一度退位して、また名前を変えて即位されてる天皇が2名。
10-2=8で数が合いました。
女性天皇の是非が問われている現在ですが、過去に8人も居たのなら別に問題ないんじゃあないのか?
元正天皇はどんな天皇
680~748年没、第44代天皇、在位は712~724年、
綺麗で聡明な女性だったらしく、日本の女帝としては5人目ですが、
未婚、独身で即位した初めての女性天皇だそうです。
・「日本書紀」の完成
・「養老律令」を制定
・「三世一身法」の発令
などの功績を残しました。
三世一身法って言葉は覚えてるけど内容がいまいちだった私はここでもちょこっと調べてみました
「自力で池溝を造り田地を開墾すれば,3世 (子,孫,曾孫) の間,で開墾者の田主権を認めた法令」
なるほど~元正天皇は、食の源である田畑の開墾を推進していたのか。
元正天皇の波乱万丈な人生
元正天皇を調べてみると、○○天皇の孫だ子供だと・・・歴史丸暗記だった私にはよく解らないので、サクッとまとめてみました。
祖父、天武天皇が亡くなった後、皇位継承問題が起こり→
父・草壁皇子は、即位することなく早すぎる(27歳)病死→
祖母であり、伯母でもある持統天皇が即位→
弟の文武天皇が即位するが、若くしてこれまた亡くなる(24歳)→
母である元明天皇が即位→
母から譲位され、氷高皇女は元正天皇として即位する。
今の時代と違って寿命も短かった時代ですが、それにしてもどうやら早死にが多かったようですね。
特に男子が短命ですね。
元正天皇は、もともと幼かった甥の聖武天皇の中継ぎとして天皇になったらしく、
後に聖武天皇に譲位することとなります。
聖武天皇は地雷だった
ところがこの聖武天皇が問題児だったようで、病気がちで職務を行えなくなったのか?
目まぐるしく遷都、行幸を繰り返すなど、情緒不安定だったようです。
元正天皇は退位後も、聖武天皇に代わり20年近くも
橘諸兄・藤原仲麻呂らと一緒に政務を遂行していたそうです。
聖武天皇の時代は、地震、疫病、飢饉、反乱などの災いオンパレードで、
740年に藤原広嗣の乱が起きると、
聖武天皇はなんと、平城京を離れて彷徨の旅へ出てしまったそうです。
今で言う、ひきこもりとかニートに近い人だったのか?
とにかく重責のある立場ですが、あまり仕事をせず、挙句の果てに職務放棄したようです。
聖武天皇陵もここの近くにありますが、近鉄奈良駅に近くここより立派な感じです。
聖武天皇は東大寺を建立した事で有名(というかこれ位しか知らない)なので、奈良時代を代表する天皇というイメージでしたが、意外でしたね。
東大寺の紹介はこちら
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長屋王の変
「元正天皇」死後は、いとこに当たる「長屋王」が政権を担当、長屋王の妻は「元正天皇」の妹でもある吉備皇女です。
この時の天皇は聖武天皇で、妻は藤原光明子です。
「藤原光明子」は皇族出身ではなく、血族を重んじる「長屋王」は、聖武天皇が不慮の事故などで亡くなった場合、皇族出身ではない藤原光明子とその子供が跡継ぎになる事を反対していたようです。
しかし藤原氏によって長屋王を打倒するために、しくまれた政治的陰謀事件
「長屋王の変」により、元正天皇のいとこの「長屋王」と、妹の吉備内親王が謀殺されてしまいます。
かつて「奈良そごう」のあった場所が、長屋王の邸宅だったと、そごう建築前の発掘調査で判明しました。
後にイトーヨーカ堂になり現在は「ミ・ナーラ」と言う商業施設になっています。
金魚ミュージアムミ・ナーラ奈良には何がある?家族連れにいい施設
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「長屋王の祟りであそこは商売に向かない」と言う人も居るようですが、もう1000年以上経ってます。そんなに長い期間祟れるものなのか?
長屋王の邸宅跡は、平城宮跡の近くにあります。
平城宮跡は、最近リニューアルして「平城宮跡歴史公園」になりました。
「長屋王」に関連する展示物もあるので、興味のある方はそちらも訪れてみては?
入場料無料です。
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元正天皇陵(奈保山西陵)
「元正天皇」は天平(てんぴょう)20年4月21日、享年69歳で死去。
そんな天皇家に興味を持ったのか、漫画家の里中満智子さんが
「天井の虹持統天皇物語」「長屋王残照記」などを書いているそうです。
天皇陵は、特に見どころなくただ祀られている所ですが、歴史背景を知って訪れると感慨深いものです。
古すぎてどこまで本当なのか?定かではありませんが、自分流に想像してみるのもおもしろいですよ。
大きな山に囲まれた元正天皇陵。柵がしてあり、ここまでしか立ち入れません。
宮内庁の看板があり、鳥居が見えるだけです。
御陵はみんなこんな感じです。お墓ですから。
入口すぐ左横に管理棟のようなものがあります。
エアコンも設備されているようですが、ここに人がいる所を私は見たことがない。
農業政策に力を注いでいた元正天皇は、ここから奈良の農業を見守っているに違いない
と私は思うのでありました。
歴史マニアでもない私がここに興味を持った理由は
なんと 😯
このお隣の佐保山テニスクラブでテニスをしているからでした(笑)
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元正天皇陵 アクセス
天皇陵に興味のある方は少ないかも知れませんが、たまには立ち寄って歴史に触れてみるのもいいかと!?
奈良駅から歩いて来るのは厳しいので、電車ならバス利用がいいです。
車だと44号線から少し入った所にありますが、進入路は細いので気を付けて下さい。うっかりすると田んぼに落ちます。
駐車場はあったんだ。気付きませんでしたが、御陵の手前に数台停めれるスペースがありました。
駐車場 | あり |
所在地 | 奈良県奈良市奈良阪町2648 近鉄奈良駅からバス「奈保山御陵」下車。徒歩すぐ |
近くに大仏プリンのカフェ
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道の駅もあります。
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