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平城宮跡 見どころ
ここ最近近代化が進んでいる「平城宮跡」です。
平城宮跡だけでなく、周辺の建物もリニューアルされたり、マリオットホテルも出来ました。
1300年程前の史跡が、これだけ残っているのは珍しい事だそうです。
建物は復元した物で、当時の資料がないため、半分くらい?は想像なのか???
もし、古代人がタイムスリップしたら「こんなんちゃうわ!」って言うかも知れませんね 😎
そんな事を考えながら見てみるのも面白いです。
ランチやお土産の紹介はこちら↓
【平城宮跡歴史公園】遣唐使船に乗れて平城京の歴史がわかる!ランチ・駐車場・イベントの紹介
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遣唐使船
まずは、遣唐使船に乗ってみました。
現総理大臣のニックネーム「遣唐使」です(笑)
レストランのある「天平うまし館」からスロープがあり乗船できます。
スロープの柵にクイズが取り付けられていました。
碇(いかり)
碇と言えば鉄製ですが、この時代鉄はまだ普及してなく、石を碇にしていたようです。
ただ石だけだと海底を滑るので、海底に食い込むように木を付けていたようです。
鉄製の碇は室町時代の頃から普及したようです。
遣唐使船の航海
こんな船でよくも海を渡ったなぁ~と感心しますが、奈良時代に出航した18隻の内14隻が帰国出来たそうです。
確率的には、思うほど危険な航海でも無かったようです。
そう言えば、北朝鮮の船ってこれとそう変わらないですね。未だに海を渡って来てます。
出航は九州からで、東シナ海を横断して、ほぼ1週間で揚子江の北辺りに着いたそうです。
網代帆(あじろほ)
救命ボートかと思ったら、船の帆でした。
布が普及していなかったこの時代は、竹や葦を編んで作った網代帆を使っていたそうです。
隙間があるのと、重いのが難点と書いてありましたが、その通りですね。
賄い部屋(まかないべや)
船の上には、3つの建物(部屋)がありました。
1つは、最後尾にある建物で、位の高い人の居室とされています。
もう一つは一般の部屋、そして賄い部屋です。
1週間といえども、食事は必要です。
火事になった記録もあるので、たぶんここで、何かを調理していたんでしょうね。
主舵(しゅだ)
主舵はいわゆる操縦席ですが、通路の確保の為、甲板上の舵は外してあるそうです。
遣唐使船の復元
遣唐使船の復元はどうやって作ったんでしょうか?
図面が残っていたのか?
いや、遣唐使船の資料はほぼ残っていないそうです。
しかし、遣唐使に関する資料から、「600人を4隻の船で派遣した」という事がわかっています。
船の大きさが同じだとしたら、1隻150名になるので、その人数が乗れる大きさとして、この位だろう!って事のようです。
船の形は、最も古い遣唐使船が描かれている絵巻物「吉備大臣入唐絵詞」を参考にしたそうです。
この絵巻物は最後の遣唐使から400年後に描かれたものなので、やっぱり「ほぼ想像」ですね(笑)
平城宮いざない館
平城宮いざない館は、様々な出土品や資料を展示してある所です。
特に展示物に興味はありませんが、せっかくなので一通り見て回りました。
木簡
「木簡」って学校で習いましたね。言葉だけ知ってますが見るのは初めてです。
要するに、紙のない時代に木に文字を書いてたって事です。
しかし、感心したのが、木に文字を書いて、又削って再利用してた事です。ECOですね
もうひとつ驚きが・・・
「木簡」って役人が何かを書き残したものか?と思ってたら、庶民の落書き的なものもあった事です。
「もうちょっとお酒をちょうだい」って(笑)現代人とそう変わらないですね。
長屋王邸宅跡
長屋王は、政権争いの果てに非業の死をとげた人物ですが、この近くに長屋王邸宅跡があります。
バブル期にデパートの「そごう」を建てるため、工事したら、そこから遺跡が出てきて、そこが「長屋王の邸宅跡」だと分かったそうです。
平城宮跡と同じように保存されているかというと、そうでもなく、そのまま「そごう」が建ちました。
しかし長続きせず「イトーヨーカドー」に変わり、現在は「ミ・ナーラ」という商業施設になっています。
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商売が長続きしない事から、奈良県民からは「大島てる物件」の位置づけになっています(笑)
事件があったのは確かなんでしょうが、1000年以上も前の事です。
そんな事言い出したら、ほとんどの場所が「大島てる物件」になってしまいますよね。
大極殿が2つある
平城宮跡のメインの建物は、大極殿です。
現在は「第一次大極殿」のみ復元されて、もうひとつの「第二次大極殿」は跡地のみです。
「第一次大極殿」は、当時の史料や絵画などが残ってないので、同時代に建てられた薬師寺の東塔などを参考して復元したそうです。
何故2つの大極殿があるのか?
大極殿は、天皇の即位式などの重要な儀式が行われた場所です。
当時の天皇は「聖武天皇」で大仏殿を建てた人として有名ですが、740年から745年までのわずか5年の期間に京都、大阪、滋賀と4回も都を変えています。
再びここに戻した際に建てられたのが「第二次大極殿」だそうです。
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何故遷都が繰り返されたのかは不明のようですが、当時天然痘が流行し日本の人口の三分の一が亡くなり、政局争いも激しく、天災も相次いだ事なども原因ではないか?とも言われています。
この時代と現代が似ているなんて事もよく耳にします。
天然痘➡コロナ
政局争い➡安部さん拳銃で撃たれる※今の所統一教会になってるが
天災➡地震が多い、異常気象
似てるっちゃあ似てますね。
平城宮跡は広い
「なんと綺麗な平城京」でおなじみの「平城京」ですが、
「なんと広いの平城京」です。
平城宮跡の広さは、東西1.3Km、南北1kmです。
モデルコースがパンフレットに載っていましたが、全てを周ると7時間となっていました。
見学しないで歩くだけなら、そこまでかかりませんが、5Km程歩く事になりそうです。
とにかく、だだっ広く、運動場のような所にポツンポツンと建物が建っている状態です。
運動したい人にはいいでしょうが、そうでない方にはキツイです。
建物が無いので、風がきつく、夏は日差しもキツイです。
私は奈良市在住なので、見たいものがあればピンポイントに行きますが、旅行などで来た場合は移動も簡単ではないですね。
レンタサイクルがあるので、そちらをお勧めします。
今回、入口から朱雀門までをウロウロしましたが、それでも5000歩程歩いてました。
全部周ったら、3万歩くらいになるのかなぁ~???
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